江戸の村と島の生活 【特産品】村から年貢を取り立てることを財政の基盤としてきた幕府や大名などは、積極的に灌漑用水(かんがい)や河川流路、新田(しんでん)の開発をすすめて生産量の増加をはかった。きめられた年貢を納入したあとの余剰作物を自家消費にとどめていた村では、年貢の一部が金納で認められるようになると、...
江戸の玄関江戸から第1番目の宿屋である品川宿(しゅく)(東海道)、千住宿(日光道中・奥州道中)、板橋宿(中山道)、内藤新宿(しんじゅく)(甲州道中)は、江戸の玄関口であった。これらの宿は<江戸四宿(ししゅく)>と称され、しだいに行楽や遊興の地としても知られるようになった。...
江戸との舟運江戸と関東一円を結ぶ交通手段には、人馬を使った陸上輸送のほか舟運が重要な役割を果たした。 銚子から出た船は利根川をさかのぼり、関宿から江戸川を下り、小名木川(おなぎがわ)を経て、江戸に到達した。江戸には穀物や木綿、さらに酒・醤油・味醂(みりん)などの醸造品を運び、帰りは日常...
江戸の蔬菜の産地江戸初期、人々が口にする蔬菜(そさい)(副食野菜)は、手近なところで生産されたが、町の発展にともないその生産地は葛西、駒込、目黒などの江戸周縁へ広がっていった。さらに江戸の人口の増加による消費需要の高まりは、練馬の大根、小松川の菜など、しだいに外へ外へと生産地を広げていった...
江戸地廻り経済圏江戸時代の初め、江戸の日常消費物資の多くは、経済の先進地域であった上方(かみがた)(関西地方)から、海路などで輸送される<下り物>(くだりもの)に依存していた。しかし、18世紀に入ると人口が増加し、旺盛な江戸の消費需要を満たすために江戸周辺で生産される<地廻り物>(じまわり...
江戸の商業宣伝 【広告・ポスター・パッケージ・コピーライティング・インフルエンサー・看板・ノベルティー・コラボレーション】江戸時代には庶民の購買力が高まり、さまざまな商品が出回るようになり、それにともない商業宣伝の手段も発達した。 宣伝に配る一枚刷を<引札(ひきふだ)>と呼んだ。引札にはその店の手作りのものから、当代一流の戯作者(げさくしゃ)が広告文を書いたものまである。山東京伝(さんとうきょ...
江戸の商人づくし江戸時代の商売には、三井越後屋に代表される呉服を扱う大店(おおだな)から、日用の食品などを籠(かご)に入れて売り歩く棒手振(ぼてふり)といった行商人まで、多種多様な業者があった。これらさまざまな商人たちは江戸時代の『江戸名所図会』などといった挿絵入りの版本などをみるといたる...
江戸のさまざまな商い大消費都市・江戸では、多種多様な商人が活躍していた。御用達商人は将軍家や大名・旗本からそれぞれ指定された、武具・呉服類から魚・野菜などの日用品の商品にいたるまで調達していた。江戸根生い(ねおい)の大商人には、魚河岸(うおがし)の問屋商人や蔵前の札差(ふださし)、深川木場の材...
金・銀・銭貨の流通 インフレ・デフレと庶民の生活コントロール金・銀・銭貨はそれぞれ金座・銀座・銭座で鋳造(ちゅうぞう)された。金座は後藤家が、銀座は大黒常是(だいこくじょうぜ)が、幕府御用達(ごようたし)として代々務めたが、銭座は大名や商人の請負であった。金貨は小判であれば、1枚を1両とする計数貨幣であり、銀貨は目方を計って使用する...
江戸の貨幣と生活江戸時代に入ると広範な商品貨幣経済の発展がみられ、生活の中に貨幣が浸透していった。それは江戸幕府が貨幣流通の統制権を握り、全国で広範に使用される貨幣を発行したことによる。貨幣には金・銀・銭(ぜに)の3種類があったが、それぞれに独立した「両」「匁(もんめ)」「文(もん)」とい...
情報都市江戸 【著名な禁書一覧】江戸時代は各地・各種のニュースを題材とした庶民向けの一枚刷の印刷物が多く出された。これを一般に<瓦版(かわらばん)>と呼ぶが、その呼び名が文献に登場するのは幕末になってからで、それ以前は<絵双紙(えぞうし)> <読売(よみうり)>などと呼ばれていた。瓦版は速報性を要求される...
江戸の貸本屋の役割 情報源とサブスクリプション貸本屋は、京都では17世紀後半にあらわれたが、江戸では18世紀中ころから多くなった。江戸の貸本屋の数は、1808年(文化5)の記録によると656軒を数える。貸本屋は新本や古本を仕入れ、それを読者に貸すものであったが、曲亭馬琴(きょくていばきん)の『南総里見八犬伝(なんそうさ...
江戸の本屋と出版出版の手順を戯作(げさく)を例にみると、まず版元(はんもと)に依頼された戯作者が原稿と下絵を書き、絵師が版下絵(はんしたえ)を描き、地元本屋(じもとほんや)仲間行事の検閲を受けたのち、彫師(ほりし)・摺師(すりし)にまわされ、製本されて売り出される。新本の刊行は正月に集中し...
江戸の本屋とレンタル屋江戸時代の出版業は、まず京都で発達した。貞享(1684 ~ 1688年)・元禄(1688 ~ 1704年)のころの江戸出版界は、京都からの出店(でみせ)によって支配されていたが、やがて江戸を本拠とする本屋が台頭し、1721年(享保6)には書物問屋仲間(しょもつといやなかま)...
江戸の木工職人 江戸指物指物(さしもの)とは、板材を組み合わせて作る木工のことで、日本でも古くから技術が発達しているが、とくに発展したのは、江戸時代からである。家具製品が中心で、箪笥(たんす)・机・椅子・茶棚・などの大物と、硯箱(すずりばこ)・煙草盆(たばこぼん)などの小物とがあり、高級品から一般...
江戸時代の服事情「洗い張りでリペアやアップサイクル」洗い張り(あらいはり)は、着物の縫い目を全部ほどいて洗い、しわを伸ばして乾かすことをいう。広く平らな板を使う板張りと、伸子(しんし)という竹製の長い串を用いる伸子張りがある。板張りは糊づけした布地を板に張り込むという手軽な方法。伸子張りは布地の端を伸子の先で留め、竹の弾力性...
本石町「時の鐘」江戸時代の時法江戸には「時の鐘」があり、これによって人々はおよその時刻を知ることができた。鐘撞役辻源七(かねつきやくつじげんしち)の由緒(ゆいしょ)によれば、当初江戸城内にあった「時の鐘」は、1626年(寛永3)に日本橋本石町三丁目の200坪余りの土地に移転された。この鐘撞役は、「時の鐘...
江戸庶民の生活江戸の庶民は、季節感にあふれた暮らしを取り入れていた。とくに、五節句は一年の重要な節目として広く祝われ、年中行事や祭礼、厄払いを意味する風習や行事にあわせた食を楽しむなど、季節によって様々な慣わしを歳事として生活に取り入れた。...
江戸の町方の衣と食近世の服装は庶民を中心に発達し、現在の和服の原型ができあがった。とくに職人や商人の間では、半纏(はんてん)・法被(はっぴ)などの機能的な仕事着が定着し、職業に応じて様々な形や意匠でつくられた。 裕福な家庭では、祭礼や芝居見物の折に着物を新調して着飾って出かける光景も見られた...