金・銀・銭貨はそれぞれ金座・銀座・銭座で鋳造(ちゅうぞう)された。金座は後藤家が、銀座は大黒常是(だいこくじょうぜ)が、幕府御用達(ごようたし)として代々務めたが、銭座は大名や商人の請負であった。金貨は小判であれば、1枚を1両とする計数貨幣であり、銀貨は目方を計って使用する秤量(しょうりょう)貨幣であった。ただし、のちには定額の銀貨や金単位を持つ計数銀貨も発行された。銭貨としては寛永通宝が江戸時代を通して発行されたが、後期には銭の流通量に製造が追いつかず銅が不足するようになり、鉄銭も鋳造された。また、一文銭より高額の四文銭や百文銭に相当する天保通宝も発行された。
幕府は財政悪化や物価問題、さらには貨幣の流通が活性化し、金銀の需要に対し供給が不足したことなどに対処するため、たびたび貨幣の改鋳を行なった。元禄期には、金銀の含有量を大幅に減らす改鋳が実施され、幕府財政は一時的に好転したが、米価および諸物価が高騰し、庶民生活は困窮した。そのため1714年(正徳4)に金銀の品位をもとに戻したが、今度は貨幣の流通量が減少して経済の停滞を招いた。そこで再度、元文の改鋳で質を落とした。貨幣量の不足を補うための質を下げる改鋳は、幕末にいたるまで数回行われた。
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