江戸初期、人々が口にする蔬菜(そさい)(副食野菜)は、手近なところで生産されたが、町の発展にともないその生産地は葛西、駒込、目黒などの江戸周縁へ広がっていった。さらに江戸の人口の増加による消費需要の高まりは、練馬の大根、小松川の菜など、しだいに外へ外へと生産地を広げていった。
青物(あおもの)を出荷した農民は帰りに、日用雑貨や加工品などを買い求めたほかに、市中の灰や下肥(しもごえ)を肥料として買っていった。これらの輸送には、馬を使用したほかに。舟運も多く利用された。利根川や江戸川などの河川と江戸市中にめぐらせた掘割は、江戸近郊はもとより、遠方から届いた大量の物資の輸送に大きな役割を果たしたのである。
こうして江戸と関東農村との商品流通の結びつきは、しだいに強固なものとなっていった。
Comments