江戸時代の服事情「洗い張りでリペアやアップサイクル」

洗い張り(あらいはり)は、着物の縫い目を全部ほどいて洗い、しわを伸ばして乾かすことをいう。広く平らな板を使う板張りと、伸子(しんし)という竹製の長い串を用いる伸子張りがある。板張りは糊づけした布地を板に張り込むという手軽な方法。伸子張りは布地の端を伸子の先で留め、竹の弾力性を利用して引っ張るという方法である。初めのころは布地による手法の使い分けもあったが、伸子張りは難しいので、一般には簡単な板張りが普及していった。板張りは明治時代に専用の張板が普及するまで、おもに戸板が使われてた。江戸時代には専業の洗い張り屋が登場した。洗い張りは、着物の仕立て直しや染め直しの時にも行われるため、仕立て屋や染物屋が代行することもあった。

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