貸本屋は、京都では17世紀後半にあらわれたが、江戸では18世紀中ころから多くなった。江戸の貸本屋の数は、1808年(文化5)の記録によると656軒を数える。貸本屋は新本や古本を仕入れ、それを読者に貸すものであったが、曲亭馬琴(きょくていばきん)の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』を刊行した丁字屋平兵衛(ちょうじやへいべえ)のように、出版を手がけるものもいた。
当時庶民にとって本は高価であったため、とくに小説類は貸本屋から借りて、見料(けんりょう)を支払って読むのが一般的であった。貸本屋は入手した本に自家の営業印を押し、風呂敷などに包んで、顧客の家をまわった。長編のものは刊行のつど、続編を読者に渡すしくみになっていた。
貸本屋の活動で注目されるのは、版本だけでなく、写本も貸し出していたことである。しかもそのなかには、時に幕府の出版取締令に違反するものも含まれていた。このように貸本屋は江戸庶民にとって貴重な教養・情報源として機能していた。
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