江戸から第1番目の宿屋である品川宿(しゅく)(東海道)、千住宿(日光道中・奥州道中)、板橋宿(中山道)、内藤新宿(しんじゅく)(甲州道中)は、江戸の玄関口であった。これらの宿は<江戸四宿(ししゅく)>と称され、しだいに行楽や遊興の地としても知られるようになった。
宿では、公用の物資や人を次の宿まで送る伝馬(でんま)の制が課さられ、参勤交代(さんきんこうたい)の制度化により本陣(ほんじん)・旅籠屋(はたごや)などの宿泊施設が整った。宿の人馬が不足の時には周辺の農村から人馬を出させる助郷(すけごう)も実施されていた。
しかし、18世紀以降の江戸地廻り経済の発達は、商用物資の輸送を増加させ、私的な輸送専門業者を生み、宿の働きや流通機構のしくみを変えていった。江戸四宿は、江戸と江戸周辺農村をつなぐ玄関口としても重要な役割を果たした。
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