村から年貢を取り立てることを財政の基盤としてきた幕府や大名などは、積極的に灌漑用水(かんがい)や河川流路、新田(しんでん)の開発をすすめて生産量の増加をはかった。きめられた年貢を納入したあとの余剰作物を自家消費にとどめていた村では、年貢の一部が金納で認められるようになると、しだいにそれぞれの地域性を生かした江戸向けの商品作物を多く作るようになり、やがてそれらは地域の特産物として広く知られるようになっていった。
こうした商品作物の流通は、関東の農村・山村はもとより漁村や伊豆七島にも貨幣経済の浸透をもたらすこととなった。身分や家柄という、それまで村社会の秩序を形成していたものに代わり、富裕な者が村内の有力者に成長するといった変化がしだしにあらわれるようになった。
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