江戸時代の出版業は、まず京都で発達した。貞享(1684 ~ 1688年)・元禄(1688 ~ 1704年)のころの江戸出版界は、京都からの出店(でみせ)によって支配されていたが、やがて江戸を本拠とする本屋が台頭し、1721年(享保6)には書物問屋仲間(しょもつといやなかま)と地本問屋仲間(じほんどいやなかま)の組合が成立した。書物問屋は学術的な堅い専門書を、地元問屋は一般庶民を対象とした草双紙(くさぞうし)などの戯作(げさく)や、のちには錦絵などを取り扱った。
それぞれの問屋は、出版から小売までを総合的に行ういわゆる「版元(はんもと)」であったが江戸には他にもさまざまな本屋が存在した。輸入書物を扱う唐本屋(とうほんや)、小売のみを行う小売本屋、本をかついで得意先に貸してまわる貸本屋などがあった。貸本屋のなかには出版屋も、摺物(すりもの)・大小暦(だいしょうごよみ)など、私的な配り物を出版していた。
本屋は日本橋界隈や、上野、浅草、芝などの門前町に多かった。嘉永期の状況をみると、書物問屋・地元問屋が下町に集中してるのに対し、貸本屋は江戸市中に散在している。
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