江戸と関東一円を結ぶ交通手段には、人馬を使った陸上輸送のほか舟運が重要な役割を果たした。
銚子から出た船は利根川をさかのぼり、関宿から江戸川を下り、小名木川(おなぎがわ)を経て、江戸に到達した。江戸には穀物や木綿、さらに酒・醤油・味醂(みりん)などの醸造品を運び、帰りは日常雑貨や江戸の文化を運んだのである。
一方、荒川の支流の新河岸川(しんかしがわ)は1647年(正保4)、川越藩主松平信綱(のぶつな)によって本格的に整備・改修され、年貢米(ねんぐまい)や薪炭をはじめ武蔵野の雑穀・野菜などを選んだ。江戸後期には旅客輸送として川越と千住をおよそ一晩で結ぶ「川越夜船(よふね)」とよばれる早船(はやふね)があらわれ、新河岸川の舟運は貨物・旅客ともさかんに行われた。
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