江戸には「時の鐘」があり、これによって人々はおよその時刻を知ることができた。鐘撞役辻源七(かねつきやくつじげんしち)の由緒(ゆいしょ)によれば、当初江戸城内にあった「時の鐘」は、1626年(寛永3)に日本橋本石町三丁目の200坪余りの土地に移転された。この鐘撞役は、「時の鐘」が聞こえる範囲にある町の住人から、1ヶ月銭4文ずつの「金役銭(かねやくせん)」を徴収する権利をもち、これが「時の鐘」の運営資金となった。その後、市街の拡大とともに「時の鐘」の数もしだいに増加していき、最終的には9か所となった。
江戸時代の時法
現在の時法は、1日を24等分して基本的な単位「1時間」を設定する定時法(ていじほう)である。これに対して江戸時代は、昼と夜の長さをそれぞれ6等分して基本的な時間単位「一時(いっとき)」を設定する不定時法(ふていじほう)が使われていた。そのため、春分・秋分を除けば「一時」の長さは昼と夜で異なり、また同じ昼の「一時」でも季節によって長さが異なっていた。
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